AMBITIOUS JACKET イベント、ご来場いただきありがとうございました。

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今から50 年前の1973年。雑誌のファションスナップなんて絶対にスルーされる静岡県の田舎の町の服好きな小学六年生だった僕は、地元で唯一のメンズショップ「adam」で生まれて初めてスニーカーを買った。
メンズショップというのは昔はどんな町にも必ず1軒はあった、今で言うところのセレクトショップみたいな洋品店である。当時の流行だったアイビーファッション好きな男子たちの愛読書でありお洒落の教科書代
わりだった雑誌「メンズクラブ」が地方のイケてる洋品店と契約しているお店で「メンクラ  特約店とよばれていたのだ。」いわゆる街一番のファッションリーダーが集うお店である。
アダムもそんなお店で、扱っている服のブランドは、ほとんど「vanヂャケット」のアイテムだ。お店の看板のロゴもvanのロゴを真似てadamのaだけ赤い色で他は黒色。
地方のメンズショツプの店の名前は大抵どこも似たり寄ったりでそんな店名だったのだ。
どこのメンズショップにも、映画の「空手キッド」のミヤギみたいな店長さんがいて、地方のガチでお洒落が大好きな若者のファッションマスターであった。いわゆる「兄貴」というやつである。
アダムにもいつもvanのアイテムでばっちりキメているモヒートの山下さんみたいな髭面の店長がいて、店の前には彼が乗っているオレンジのベスパのスクーターがいつも停めてあって、田舎の町の商店街ではそりゃあもう目立っていた。
三歳年上の服好きなお兄ちゃんの影響で小学六年生の服好きなマセガキだった僕は、その店長から「これはvanから発売されているラダーというスニーカーで、本来はヨットで履く靴なんだよ。いつもビックジョンのべルボトムとかオーバーオールを着ているあつし君なら白より黄色なんか似合うと思うよ」と勧められて、確か当時の値段で3000円ぐらいして小学六年生の僕にはとんでもない買い物だった。
でも欲しくて欲しくて夢にまででるほどだったので正月のお年玉をはたいて手に入れたのであった。ちなみに、本物のデッキシューズの「トップサイダー」を知ってまたまた無理して買ったのはそれから6年後の高校三年生のことである。

今回、山下さんの「mojito」と「ARCH米村屋」さんと一緒に作った「ambitious jacket」を、札幌に来て二日間店頭に立って接客をして売らせてもらうという貴重な体験をさせていただき、
僕は50年前にメンズショップアダムの店長に勧められて、生まれて初めてスニーカーを買った時のことを思い出しました。


ありがたいことにお店のブログやインスタグラムを見て、雪が降る中を、ARCH米村屋のギィ、ガチャンという入り口の扉を開けてひっきりなしに来店するお客さんたち。
そんなお客さんたちに「こないだ買ったシャツどうでしたか。やっぱすごいカッコいいでしょう」とかambitious jacketの売り込みはそっちのけでまずは雑談から始まる、スタッフの大手さんと阿部さん。

逆にお客さんの方が一刻も早くambitious jacketを試着してみたくて、ウズウズしていて、「これがブログで読んだmojitoのジャケットですか」と聞いてくる。
あれ、この会話の雰囲気どこかで既視感があるぞ。そうだそうだ、テーラーメイドのスーツを仕立てる腕利きの職人が個人でやっている老舗のテーラーショップの雰囲気と同じだ。
いや、そうだ、このムードはそれこそ僕がブログの最初に書いた、80年代の渋谷でエンジニアドガーメンツの鈴木大器さんやニードルスの清水慶三さんが接客をしていた「レッドウッド」や、
90年代の原宿のプロペラ通りとまで呼ばれた「プロペラ」で山下さんが接客していた当時のインポートショップのあの雰囲気だ。

お店にいかなくてもネットで買い物ができるようになって、服が売れないと言われる時代に、どこのセレクトショップも「これからはモノよりもヒトだ」なぁんて言い始めたが、
そんなことはとっくの昔から札幌のARCH米村屋ではずうーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと変わらずやっているのだよ。
じゃなければ、ambitious jacketがこんなに飛ぶように売れません。忖度なんてなくてマジビックリ‼️ARCH米村屋、お店もお客さん最高‼️
いい勉強をさせていいだきました。
雪の降る中、ambitious jacketを目当てにご来店くださったお客様。本当に、本当にありがとうございました。

コラムニストいであつし

追伸
二条市場の鮭はらす定食最高‼️