“白紐のデニムオーバーパンツ” Vol.1(インタビュー)

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フランス軍のM47 TROUSER 、アメリカ軍のベイカーパンツ、BONCOURAの5pocket Jeans。KENNETH FIELDのTROUSER。MOJITOのGULF STREAM PANTS………

来月で6周年を迎えさせて頂く当店には、いくつかの定番パンツ(トラウザー)というものが存在します。

その中には、ARCHが札幌で誕生した当初から提案しているアイテムから、ARCH TOKYOオープン後に根付いたアイテムまで。

洋服には時代の流れによる様々な変化が起こりますが、

定番とは言える物の軸は、決して変化し過ぎてはいけない。そう思っています。

今回は、そんなARCH TOKYOの定番パンツ(トラウザー)の一つ。

“白紐のデニムオーバーパンツ”=SUS-SOUS MK-1 TROUSER DENIMについて、とある方へインタビューを行いました。

賀々谷氏
京都生まれ。服飾の専門学校卒業後、
関西関東数々のアパレル、デザイン会社に勤めた後に独立。
現在様々なブランドのデザインや企画を行いながら、ブランドデザイナーのイメージを具現化するモデリストとしても活躍。
SUS-SOUS ではモデリストという役割でブランド誕生当初から携わっている。

インタビュアー :原・町田

原 ・町田 「賀々谷さん、本日は、MK-1 TROUSER DENIMについて色々とお伺いさせて頂ければと思います。宜しくお願い致します。」

賀々谷氏 「こちらこそ、宜しくお願い致します。」

原 ・町田「早速ですが、ブランド設立当初から携わっているという賀々谷さんですが、MK-1というアイテムが最初に誕生した際、賀々谷さんはどのようにブランドに携われていたのでしょうか?」

賀々谷氏 「はい。実はSUS-SOUSの前任デザイナーとは、関西時代からの付き合いでして、このMK-1というオーバーパンツはSUS-SOUS設立前の段階から製作していたものなのです。

当時は、ブリティッシュのオーバーパンツをベースに、オリジナリティを加えて製作していました。その後修正を加え、第二弾としてヴィンテージに忠実なアプローチで製作したのですが、それがSUS-SOUSの代表的なアイテムとしてリリースしたMK-1になります。」

原 「では、SUS-SOUS 1stコレクションにリリースされた物は、前任デザイナーと賀々谷さんで生み出したセカンドモデルだったんですね。」

賀々谷氏 「そうなんです。」

町田 「なるほど。そのストーリーは面白いですね。」

賀々谷氏 「前任デザイナーとアトリエ内で試行錯誤を加え、今のMK-1が誕生しました。スリーピングシャツやフィッシャーマンスモックも同じく初期に作っていましたね。」

町田「当時、前任デザイナーと賀々谷さんは、それぞれどのような役割だったのでしょうか?」

賀々谷氏 「デザイナーとして企画、発案するのは彼。私は生地、パターンや仮縫いなどの担当をしていました。私自身、職業としてパタンナーでもあるのですが、もう一つ、モデリストという職業でもあるのです。」

町田「モデリスト?」

賀々谷氏 「イタリアなどで良く言われる職種で、デザイナーと工場(ファクトリー)の間に入る人の事を指します。

イタリアをはじめ、海外だとブランドにおいて絶対的な地位を持つ役割で、デザイナーより強い地位になる事もあります。

生地屋、ファクトリー。作り手と連携をとり、企画したアイテムのパターンや縫製の進行を行っていました。

簡単に言うとブランドデザイナーのイメージを具現化する役割ですね。比較的に日本では珍しい存在だと思います。

私は生地やパターンのアドバイスをしながら、前任デザイナーと共に新たなアイテムを生み出しておりました。

原 「では、賀々谷さんは”SUS-SOUS立ち上げからの舵取り”的な役割を果たしていたのですね。」

賀々谷氏 「そうですね。」

町田 「当初から賀々谷さんの事は存知あげておりましたが、そのような役割だった事は知らなかったです。

SUS-SOUSを代表するDENIM MK-1 TROUSER 。

実は、今回の生産を最後に1stコレクションから使用されていた“11.5oz supima silket denim”の生地が廃盤に……

Vol.2に続く。

次回モデリスト賀々谷氏から見た、MK-1 TROUSERの生産背景についてお伺いします。

ARCH TOKYO
町田