Willis&Geiger’s History

American SAFARI’s HISTORY -Willis&Geiger-
at Arch Tokyo
(東京都中央区東日本橋2-27-19 Sビル3F)
2025/9/26(fri) – 28(sun)
1902年探検家ベン・ウィリスによって創業した、Willis&Geiger(ウィリスアンドガイガー)。
セオドア・ルーズベルト、アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ、チャールズ・リンドバーグなど
数々のアメリカの著名人を顧客にもち、
1930年代ごろアメリカの富裕層を中心に流行したサファリに着目し、いち早くサファリウェアーを製作。
以後、さまざまなアウトドアブランドのOEM生産を請け負うようになります。
イベント期間中には、Willis&Geigerの貴重なアーカイヴヴィンテージを展示、約1世紀以上に渡ってアウトドアクロージングを製作してきたブランドの世界観をご体感いただけます。
また、25年秋冬にArch Tokyoセレクトしたコレクションに加え、期間中のみ展開する特別なコレクションも展開。
現在、Willis&Geigerの正式なライセンスを使用し、数多くのWillis&Geigerの名品を伝承している相川氏と森氏にも在店していただきます。
イベント前日の9/25(木)20:00ごろより、Arch Tokyoのインスタグラムアカウントにてインスタライブを配信予定です。
ぜひ合わせてご覧くださいませ。
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【イベント告知のブログはこちら】
【Willis&Geiger’s HISTORY】
【THE HEMINGWAY BUSH JACKETについて】
【WHITE HUNTER FIELD JACKETについて】
8月某日、イベントの打ち合わせに相川氏のもとへ。
Willis&Geigerと20世紀以降のアウトドアウェアーの歴史と深く結びついており、
それゆえにアメリカンアウトドアブランドの最高峰と言われる所以だと気づいたのでした。
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20世紀初頭、石油・石炭などの重要性が増したことから、世界中で資源開発競争が起こっていました。
イギリス人探検家ベン・ウィリスは、資源発掘により成功を収めようと探検をしていたものの、
当時の衣服や装備の弱さから、幾度と危険な目に遭うことに。
身を守るための洋服の重要性に着目し、探検家の実需にこたえるべく、
本格的なアウトドアウェアーを製作するブランド「Willis Company(ウィリスカンパニー)」を1902年に設立します。
実用的かつ機能的なアウトドアウェアーを探検家目線で製作する。
イギリス人のベン・ウィリスによって、イギリスで生まれたWillis Companyの作るアウトドアウェアーは、イギリス服という特徴を持ち合わせた、テーラードウェアーであったに違いません。


第一次大戦以降、飛行機の技術と信頼性が高まり、飛行輸送が本格化します。
Willis Companyもそれに目をつけフライトスーツを積極的に展開。
初の南極点上空飛行を成功させたリチャード・バードや
大西洋単独無着陸飛行を成功させたチャールズ・リンドバーグにフライトスーツを支給していたのは、まさしくWillis Company。
歴史的快挙・飛行技術の進歩の裏側には、パイロットの身を守るというWillis Companyのフライトスーツが着用されていたのです。

そして”狂乱の20年代”と呼ばれるアメリカが豊かだった時代、モノやカネ、ヒトが集まるアメリカへ、Willis Companyが渡ります。
当時、主に、ニューヨークに本店を構えるAbercrombie&Fitchにて取り扱いがあったそう。
1892年創業のAbercrombie&Fitchは、富裕層向けにアウトドアウェアーの販売や受注を受けており、武骨な男服ながらも高品質な洋服を取り扱っていました。
過目利きの良いアメリカの富裕層に向け、過去フライトスーツの納入実績があり、イギリス出身のWillis Companyのアウトドアウェアーを取り扱っていた、と考えると、納得ですね。
そして1928年、青年実業家であったハワード・ガイガーが合流して以降、「Willis&Geiger」になります。
名だたる実業家や政治関係者と太いパイプがあったハワード・ガイガーの経営参画により、より広くアメリカ国内にブランド認知が広がります。
その甲斐もあり、1931年にはアメリカ陸軍航空隊のフライトスーツがWillis&Geigerの規格に統一され、
以降続く、第二次大戦や朝鮮戦争などでの納入につながってくるのです。

また1930年代は、Willis&Geigerにとってのもう一つ大きな転換点が関わってきます。
アメリカの富裕層を中心に広がった”サファリブーム”アフリカのブッシュで、
バカンスを過ごしたり、ハンティングを楽しむモノでしたが、Willis&Geigerは、その”サファリ”にいち早く注目。
最高峰のアメリカンサファリウェアーと謳われる第一歩が始まります。
ブランド唯一無二の生地たる”340 Cotton Bush Poplin”が開発されたのもちょうどこの頃。
寒暖差の激しいアフリカの気候において、軽量かつ着心地の良い機能的な生地を開発、
以降この生地がサファリウェアーにおける基準になりました。
そしてその生地を使ったサファリジャケットを着てアフリカ大陸を旅したアーネスト・ヘミングウェイ。
そして1940年〜1950年代ごろにはハリウッドスターたちが、武骨で男らしいサファリジャケットを好んで着たことから、サファリジャケットがより広く知られることとなります。



(※Willis&Geigerが衣装提供)
この時期の”サファリ”を題材にした映画もいくつかあります。
1951年公開ハンフリー・ボガート主演「アフリカの女王」、
また上記映画の撮影模様を描いた1990年公開クリント・イーストウッド主演「ホワイトハンター・ブラックハート」、
1953年公開ジョン・フォード監督作品の「モガンボ」では、Willis&Geigerが衣装を提供、
などなど、ぜひご興味がある方はこちらもご覧くださいませ。
Arch Tokyoスタッフ小林と配信しているラジオでも話しております。笑
(Arch Tokyoラジオ「浅草橋の洋服屋」はこちら)
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1960年代~80年代初頭ごろまでがWillis&Geigerの黄金期。
戦後、アメリカが豊かだった時代、Willis&Geigerでも銘品と呼ばれる数々のモデルが生まれるのもこの頃です。
“Hunter Hiker Jacket” , “Quail Coat” , “Photographer Jacket” , “Warden Jacket” , “White Hunter Field Jacket”など、名前をあげればキリがありませんが、
イマでは作れない、もしくは作らないほど、精巧で手の込んだディテールの洋服がリリースされます。
L.L.BeanやOrvis , Eddie BauerやBANANA REPUBLIC , HUNTING WORLDなど数々のアメリカンアウトドアブランドのOEM生産や
Brooks BrothersやPaul Stuartなどの総合衣料ブランドからの生産依頼なども請け負っていました。
当時、作りが込んでいて、工程数が必要なアウトドアウェアーを生産できる工場は限られ、Willis&Geigerがその生産の多くを請け負っていたようです。

また、ちょうどこの時期に重なるのが、1968年にはYves Saint Laurentによるサファリルックの発表。
サファリウェアーが都会に持ち込まれ、ラグジュアリーウェアーとして、またより広く市民権を得るようになったきっかけです。
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相川氏からWillis&Geigerの歴史を伺うと、
Willis&Geigerの歴史そのものが、アメリカにおけるアウトドアウェアーの歴史そのものであり、
さまざまな時代の要請に応えるべく、時にはアウトドアウェアーとして、時にはミリタリーウェアーとして、
最高峰の洋服を提供してきたブランドです。
1980年代後半からはAbercrombie&Fitchesの買収の影響もあり、
Willis&Geigerも買収されたり、ライセンス事業へ転換したり、複雑な状況に立たされるのですが、
相川氏と森氏が、現代のWillis&Geigerにおいて体現したいことは、
輝かしいWillis&Geigerの歴史とその功績に敬意を表し、現代の技術を用いてWillis&Geigerの黄金期を伝承すること、です。
生産地にこだわるわけでなく(60年代〜80年代のWillis&Geigerを生産していたレベルの工場はアメリカに残っていない)、Willis&Geigerを愛し、研究を重ねたお二人だからこそ、
Willis&Geigerの本質を追求した現代に完全伝承したWillis&Geigerのコレクションを製作できる。
お話をお伺いすると、決して簡単なことではなく、並外れた努力と困難を乗り越えて製作しているのだと感じます。
当日はそれらコレクションが、当時の貴重なヴィンテージアーカイヴと一緒に並びます。
次回からはモデルのご紹介です。
ぜひお楽しみに。
Arch Tokyo 小村
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